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クラブの歴史 |
ゴルフ界・その他の動き |
昭和43年 |
ゴルフ場用地予定地域の現地踏査。 |
(1968年) |
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昭和44年 |
ゴルフ場用地買収事務開始。 |
(1969年) |
株式会社西仙台ゴルフ場設立。 |
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造成工事着工 請負工事者・伏見日建、
中田建設。 |
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昭和45年 |
西仙台ゴルフ場18ホールオープン。 |
(1970年) |
クラブハウス完成。 |
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昭和46年
(1971年) |
9ホール造設、直営で工事着工。
開場1周年記念コンペ開催。
レストランの生姜焼き(350円)が好評。
クラブ会報誌「NISHISENDAI」発刊。
第1回理事長杯、キャプテン杯開催。 |
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昭和47年
(1972年) |
全国初の乗用ゴルフカー導入
(40台)。業界の注目を浴びる。
第1回東北クラシック開催。
競技委員長田中栄氏。
優勝村上隆。
第1回クラブ選手権・シニア選手権開催。 |
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東北初のプロ・トーナメント「七夕杯・東北クラシック」
が開催。(西仙台カントリークラブ)
宮城県ゴルフ連盟発足。
時代は第2次ゴルフブームへ |
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昭和48年
(1973年) |
増設9ホールオープン。
東、中、西名で営業開始。
クラブハウス増築。
第2回東北クラシック優勝
尾崎将司。 |
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東北初の女子プロ競技「松島国際女子オープン」
(現ミヤギテレビ杯)開催。(松島国際GC) |
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昭和49年
(1974年) |
会員優遇策の一環として東北初となるグリーンフィを無料に。打撃練習場完成。
第3回東北クラシック 優勝尾崎将司。 |
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東北初の日本プロゴルフ競技開催。(表蔵王国際GC) |
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昭和50年
(1975年) |
第4回東北クラシックでジャンボ尾崎が3連覇。
開場5周年記念行事としてゴルフ場を県民に開放。
8千人の親子連れが賑わう。
JGAによるコースレート査定。 |
青木と尾崎の競い合いがギャラリーを魅了 |
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コース距離表示がヤードからメートルに変更 |
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昭和51年
(1976年) |
西仙台ゴルフ場の入場者1年で4万7千人超える。
第5回東北クラシック 優勝安田春雄。 |
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昭和52年
(1977年) |
レディス選手権開催。理事長杯、キャプテン杯が36Hへ
変更。新レディスティーを新設。
第6回東北クラシック 優勝青木功。 |
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樋口久子全米女子プロゴルフ選手権に優勝。 |
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昭和53年
(1978年) |
クラブハウスにコーヒーショップ新設。
この年の公式、公認ゴルフでテレビ放映されたトーナメント
番組の視聴率で、スリリングな試合展開が話題となった東北クラシックが全国1位に躍り出た。
優勝安田春雄。
代表取締役社長の田中栄氏が東北ゴルフ連盟競技委員長に
就任。 |
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宮城県沖地震発生。
青木功世界マッチプレー優勝。
青木、尾崎、中島のいわゆるAON時代到来。
JGAがハンディキャップ規定を制定。 |
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昭和54年
(1979年) |
代表取締役社長の田中栄氏がJGA競技副委員長に委嘱。
会員のハンディキャップ取得者459名に。
第8回東北クラシック 優勝中村通。 |
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昭和55年
(1980年) |
開場10周年記念コンペ開催。
祝賀パーティーは仙台サンプラザ
ホテルで1300人余名が出席し盛況。
東北地区開催初の日本オープン第1次予選会開催。
クラシック・コースコースレーティング査定。
高麗グリーン73.0 ベントグリーン72.6。
第9回東北クラシック 優勝安田春雄。 |
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昭和56年
(1981年) |
第1回東北ジュニアゴルフ選手権開催。
西4番クリーク埋め立て工事。
第10回東北クラシック 優勝杉原輝雄。 |
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JGAハンディキャップ方式が全国的に実施される。 |
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昭和57年
(1982年) |
会員優遇策の一環としてメンバータイムの創設。
女子会員117名に増加。
第11回東北クラシック 優勝前田新作。 |
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JGAゴルフミュージアム開場。(兵庫県、広野GC)
接待コースブーム。
ゴルフ規則裁定集発行。 |
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昭和58年
(1983年) |
第12回東北クラシック 優勝羽川豊。 |
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仙台市中心部と西部を結ぶ夢のトンネル仙台西道路
(青葉山トンネル)が完成。
青木功ハワイアンオープンで劇的な逆転優勝。 |
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昭和59年
(1984年) |
田中栄代表取締役社長の突然の急逝。
クラブハウスで社葬を執行。ゴルフ関係者や会員の方々
700名参列。
第13回東北クラシック 優勝井上幸一。 |
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記録的大雪
東北で初めて高校にゴルフ愛好会発足。(東北高校)
ゴルフ宅急便始まる。 |
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昭和60年
(1985年) |
開場15周年記念行事ワイン飲み放題開催。
第14回東北クラシック 優勝D・イシイ。 |
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服部道子さん全米女子アマに優勝。最年少記録を更新(16歳) |
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昭和61年
(1986年) |
スタート案内所改築。
第15回東北クラシック 優勝杉原輝雄。 |
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コース距離表示はメートルからヤードに変更。
第3次ゴルフブーム始まる。 |
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昭和62年
(1987年) |
第16回東北クラシック 優勝金井清一。
東北クラシックが名称を変更し、来季より会場移転となる。 |
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岡本綾子米国女子プロツアー賞金王に。
ゴルフ会員権高騰。メタルヘッド復活。 |
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昭和63年
(1988年) |
第1回グランドシニア選手権開催。 |
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夏から秋にかけ記録的な日照不足と長雨。 |
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平成元年
(1989年) |
新クラブハウス地鎮祭。
開場20周年記念として5点の現代彫刻を
場内に設置。
コース内に小鳥の巣箱設置。(270個) |
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昭和天皇崩御。激動の昭和から時代は平成に。
長尺ドライバー普及。

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君の時代は来る |
内包される風景 |
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平成2年
(1990年) |
開場20周年記念新クラブハウス落成。祝賀会を催す。
開場20周年記念チャリティーコンペを開催。
社会福祉法人「ありのまま舎」にチャリティ基金100万円を
寄付。
会員のハンディキャップ取得者数1334名。 |
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バブル経済。会員権相場ピークに。
チタンヘッド登場。
使用球がラージボールに統一。 |
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平成3年
(1991年) |
100万人目のゴルフ場入場者を表彰。
西9番ティー大幅改造工事。 |
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改造前 |
改造後 |
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平成4年
(1992年) |
全27ホール高麗グリーンをサンドベントグリーンに改良。
レストランの一隅にワインコーナー設置。
大正生まれの会員が西仙台大正会結成。 |
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平成5年
(1993年) |
第1回東北オープンゴルフ選手権開催。
上位3名が日本オープンゴルフ選手権へ。
優勝加藤仁。
三笠宮寛仁殿下がご来場。
バブル崩壊により来場者総数がマイナスに。 |
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平成6年
(1994年) |
日立カップ東北女子アマチュア選手権開催。 |
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全国的に空前の猛暑で各ゴルフ場に被害。
ウッドはチタンのビックヘッド、
アイアンはキャビティーモデルが売れ筋に。 |
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平成7年
(1995年) |
姉妹コース大石田ゴルフクラブオープン。
第1回宮城県ジュニアゴルフ選手権開催。
優勝星野英正君 高橋美保子さん。
阪神・淡路大地震に義援金100万円を贈る。 |
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阪神・淡路大地震発生。 |
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平成8年
(1996年) |
会員優遇策の一環としてビジター同伴割引実施。 |
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東北ゴルフ連盟が創立30周年を迎え、記念式典と祝賀会を催す。 |
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平成9年
(1997年) |
会員の加藤和佳子さんが日本女子シニアゴルフ
選手権で優勝。盛大に祝賀会を催す。
いきいきゴルフ300歳大会開催 |
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全国的にノンメタルスパイク普及広まる。
T・ウッズがマスターズに最年少V。 |
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平成10年
(1998年) |
第4回宮城県ジュニアゴルフ選手権で
渡邊征伸君が3連覇。 |
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戦後最悪の不況、戦後最大の景気対策。 |
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平成11年
(1999年) |
開場30周年記念でショットガン方式による
記念コンペと記念パーティーを催す。
ソフトスパイク限定使用実施。 |
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第54回国民体育大会(熊本)でゴルフが正式に採用される。 |
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平成12年
(2000年) |
東5番池護岸工事。
第1回東北女子倶楽部対抗開催。 |
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平成13年
(2001年) |
「会員の夕べの集い」を開催。
会員のハンディキャップ取得者数1622名 |
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時代は21世紀に突入。
日本ゴルフ100年記念年として各地でイベントが行われる。
みやぎ国体開催。 |
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平成14年
(2002年) |
コースレート再査定。Aグリーン西東72.8。
会員の平均年齢 61.5歳に。 |
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JGAハンディキャップ大幅改定並びに女子ハンディキャップ新設
宮城県ゴルフ連盟30周年。ゴルフ場利用税の一部改正が実現。 |
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平成15年
(2003年) |
西仙台CCホームページ開設。
第9回宮城県ジュニアゴルフ選手権で
有村智恵さんが優勝。 |
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ハワイのパールオープンに13歳のミシェル・ウィーが出場。
樋口久子がゴルフの世界殿堂入り。
宮里藍さん(18歳)がミヤギテレビ杯で30年振りのアマチュア優勝達成。
女子ハンディキャップシステム実施。 |
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平成16年
(2004年) |
大正生まれで構成された「西仙台大正会」が全国紙に紹介。 |
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青木功が世界ゴルフ殿堂入り。 |
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平成17年
(2005年) |
開場35周年記念コンペと記念祝賀パーティーを開催。
祝賀パーティーは会員やその家族359名が出席。 |
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岡本綾子が世界ゴルフ殿堂入り。 |
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平成18年
(2006年) |
宮城県アマチュア選手権で中道洋平氏が
28年ぶりにコースレコードを更新。西東67。
宮城県女子アマチュア選手権は原江里菜さんが優勝。
全国初となる宮城県ルール倶楽部対抗で
当クラブが優勝。 |
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平成19年
(2007年)
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JBCクラシック仙台(前身:東北クラシック)が打切りとなる。
日本シニアオープンで65歳の青木功がエージシュートを達成し
逆転優勝。
石川遼君(15歳)がマンシングウエアKSBカップでアマチュア優勝。
樋口久子が紫綬褒章を受章。ゴルフ界では初。
高反発ドライバーの規制が始まる。
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高反発ドライバーの規制が始まる。
円高、株安先行き不透明な経済状況。
青木功が紫綬褒章を受章。 |
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2016年よりゴルフ競技がオリンピック正式種目に決定。 |
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平成22年
(2010年) |
開場40周年を記念し機関誌の発行。
記念コンペや各種催しを行う。
「西仙台ゴルフ場歴史展」を展示開催。 |
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尾崎将司が世界ゴルフ殿堂入り。日本人では4人目。
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平成23年
(2011年) |
大地震によりカート道崩落、地割れ、
亀裂など被害多数。 |
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東日本大震災発生。甚大な被害。
松山英樹氏マスターズで日本人初のローアマ獲得。
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平成24年
(2012年) |
イノシシ被害頻発。場内に電柵を設置。(約7キロ) |
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JGAが日本アマチュアランキングを創設。
男子第1位松山英樹氏、女子第1位比嘉真美子さん。 |
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平成25年
(2013年) |
会員の石井俊行氏がR&Aレフェリースクールレベル3に
合格。 |
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つるやオープンで66歳の尾崎将司が62をマークし
エージシュートを達成。
2020年に東京オリンピックが開催決定。会場は霞が関GC。 |
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JGAハンディキャップ(スロープシステム)移行。
KKT杯バンテリンレディスオープンで勝みなみさんがアマチュア優勝。
樋口久子が文化功労章を受章。 |
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平成27年
(2015年) |
太陽光発電事業会社と9ホール分の土地賃貸契約締結
ヤード表示を巣箱からヤード杭に変更。
第10回宮城県ルール倶楽部対抗でV8。記念式典では
最多優勝クラブとして表彰された。新18ホールで
JGAコースレート再査定。73.3。 |
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東日本豪雨。 |
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平成28年
(2016年) |
27ホールから18ホールにホール数を変更し営業開始。
新レディスティーを増設。
9番14番バックティー新設。
再査定JGAコースレート73.6。 |
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東北ゴルフ連盟が創立50 周年を迎え記念式典と祝賀会を催す。
リオオリンピックで112年ぶりにゴルフ競技が正式種目で復活。 |
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平成29年 (2017年) |
宮城県アマチュア選手権で若有宣彦氏が
新コースでコースレコードを記録。69。 |
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宮里藍が現役引退。 |
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平成30年 (2018年) |
コース各所の暗渠排水工事(約3000m) |
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畑岡奈紗が米国女子ツアー日本人最年少優勝を記録(19歳) |
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令和元年 (2019年) |
80歳以上の第1回スーパーシニア選手権開催 |
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ゴルフ規則が35年ぶりに大幅改訂
渋野日向子がAIG全英女子オープンで海外メジャー制覇
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令和2年 (2020年) |
開場50周年記念杯と記念オープンを開催。
開場50周年記念グッズの販売。 |
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新型コロナウイルスの感染拡大を受け連盟主催競技はすべて中止に。
東京オリンピックの延期。
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東京オリンピック・パラリンピック開催
松山英樹がマスターズに日本人として初Ⅴ
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令和4年 (2022年) |
コースキャディー委員会とフェローハウス委員会が
統合され、「コースマナー委員会」が発足 |
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宮城県ゴルフ連盟50周年
ロシアがウクライナに侵攻
蝉川泰果氏が日本オープンで優勝。アマチュアの優勝は赤星六郎氏以来、
65年ぶりの快挙
馬場咲希さん全米女子アマ優勝 |
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